日航ジャンボ機墜落事故から四十年(令和8年11月号)
- 2025.11.13 | 今月の言葉
今月は日本航空123便墜落事故のお話をします。今年は昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故から㊵年になるそうです。昭和60年⑧月⑫日、羽田発大阪行き日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落しました。
乗客乗員524人のうち520人が死亡し、単独機事故としては死者数が世界の航空史上最悪となりました。
昭和62年当時の運輸省航空事故調査委員会は昭和53年のしりもち事故で米、ボーイング社が圧力隔壁を修理した際にミスがあったことが原因と結論付けました。県警は業務上過失致死傷容疑で日航ボーイング社、運輸省関係者等を書類送検しました。
実は、この飛行機を操縦していたのは私の姉(佐々木恵美子)の夫の弟にあたる佐々木裕さんでした。
一ヶ月程前にたまたま田崎町の姉の実家で偶然お会いし、お互いに健康に気をつけて等話し合っている時、裕さんからは「忠信さんは毎日クルマに乗ってクルマの仕事をしているからくれぐれも運転には気をつけて下さい」と何度も言われ、私からは「安全なようでも飛行機は空を飛んでいるのだから何かあったらどうしようもない。一人で頑張っても、どうしようもないけど毎日安全だけはお祈りしましょうね」等と話して別れました。
それから一ヶ月後です。会社が終わってクルマ帰宅途中に姉から電話があり「裕さんが大変、すぐ家に来て」と言われ、飛んで田崎へ行きました。
それから色々ありましたけど紙面の都合で書けません。ちなみにその飛行機にはあの《上を向いて歩こう》の歌手、坂本九さんも乗っていました。
代表取締役会長 古庄忠信

